あんらくし

考えたことのメモなど

ファンインタビューをしてもらった話

忙しい時期を乗り越えた(?)ので久々にブログをかきます。頭痛い!でも明日も仕事だしはよ帰って寝よう!と思ってむりくり退勤をキメたら視線が痛かった。だって立場が違うし仕事の絶対量が違うんだから私がいてもなんの役にもたたないじゃん…。いつもの被害妄想だということにして気にしないようにします。くそう。人の気持ちを慮りすぎた。

認知されたい願望(でも認知してもらうの申し訳ないという気持ちもある)と好奇心という不純な動機でインタビューをしていただいたんですが、その記事が公開されましたのでお知らせです
http://hachibunme.doorblog.jp/archives/50396984.html
妙なてれくささから薄目でしか確認できてないのですが、ブログの形になる前にテキストだけ読ませてもらったので読んではいます。楽しく話してた内容が活字になってまとめられると、質問に答えるのが下手だなとか言い回しが絶望的にアレだなとかいろいろ欠点が目につきますね!客観視したくない!でもこんなに喋れるくらいには大森さんについて脳みそを働かせていたんだなあとか、聞かれてはじめて気づいたこととかたくさんあって、総合するとめちゃくちゃハッピーです。よろしければぜひご一読くださいませ。

他の方がお話しされてたことについて、自分でもなんとなく考えてみたので一応かいておきます。


⚫︎昔と今とでずいぶん変わったよね問題
問題という表現が適切かはわかりませんが、メジャーデビュー前と後でいろいろ変わったよねというのは共通認識としてあるように思います。弾き語りだけでやってた頃の方がよかったとかメジャーに行ってから方向性が変わったとかそういう話を聞いたこともあるような。
個人的にはあんまり違いがわかってないので、変わったのかあ…って感じです。youtubeから入ったので、最初期の曲も最新のアルバムも同じ時期に同じように聞いてしまい、周回遅れで追いかけてる感じなのであんまり変化を意識できてないだけですが。
弾き語りも好きだしバンド編成も好きだなーと思うのは歌ってるのが靖子ちゃんだからで、根底にある思想が貫かれているなら出力方法(?)は問わない、みたいな。
こういうことを考えるのはきっと初期の頃を体感していないからで、お客さんがほとんどいないライブハウスに行っていないからで、ピンクのスーツケースから出てくる歌詞カードが手折りされたCDを受け取ったことがないからなんだろうなと思います。それが寂しくもあるけれど、けっきょくのところ私が大森さんを好きになったのはメジャーデビュー以後「大森靖子」として公開されているものに触れたからだと思うので(もし何かのきっかけで初期のライブを見ていたとして、足を止めて向き合って魅力を受け取れたかといえばたぶんそんな勇気もない)寂しくなったり悔しくなったりするのはお門違いだよなと思う。
もしもこの先メジャーデビューみたいな大きな変化があったとしたら、マジックミラーあたりから並走している私も「あの頃とずいぶん変わったよね」という感想を持つようになるのかもしれない。

殺すちゃん

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ついったーで、大森さんが上のようなことを呟いていた。読んだ瞬間なんとも言えない気持ちになって、何度か繰り返し読んでみたけれどまだうまく気持ちの整理ができないのでブログをかきます。はじめに明言しておきますが、非難する意図は全くありません。自分の思考をまとめるための記事です。

①わかる!と思った
頭の中があるマイナスな感情に支配されて、それが「殺す」みたいなものに行き着くと怒りやらなにやらが更に噴出してきて殺伐とした気持ちになるし、「絶対殺す」を軸に据えて行動してしまう。
そのいきすぎた思考を「殺すちゃん」と命名すると確かにわかりやすいし、私の中にも耐えず「殺すちゃん」は存在しているように思う。
しかも、そんな時に誰かに相談したとしても結局自分の中の「絶対殺す」という結論は変わらないので「なんで理解してくれないの?!」という気持ちになって相手に怒りをぶつけてしまいがちだ。あとですごく自己嫌悪する。

②申し訳ない気持ちになった
毎日欠かさずではないが、DMで悩みをぶちまけてしまうことがある。たすけてほしいと直接的に言わなかったとしても、悩みや苛立ちを、それこそ殺すちゃんを昼夜問わず投げつけていることに変わりはない。
それを考えたらなんて身勝手なことをしているんだろうという気持ちが強まり勝手に申し訳なくなった。申し訳ないなら謝れよという感じだが、それはそれで加害者ぶっているみたいでできなかった。加害者ぶるというのは劣悪な行為で、「全部私が悪いんですごめんなさい」もまたある種の攻撃だと思う。そんなことをしたいわけじゃなくて、「そんなことないよ、全然悪くないよ」を期待しているわけでもない。
だけど、神様でもカウンセラーでもない靖子ちゃんにそんなDMを送りつけていること自体がよくないことであるのは確かだ。じゃあなんでやるんだ、といわれるといくつか理由はある。全て言い訳になってしまうけども。
たぶん、大森さんの「DMでみんなが悩み相談とかその日あったこととか教えてくれるのが嬉しい(ファンのことを知れるから)」という旨の発言を盲信しているからだ。知ってもらわなきゃ!!みたいな気持ちが変な方向にねじまがってしまったんだと思う。「DM歓迎」みたいなbioが一瞬「DM全部読んでますが、数が多いため全てに返信はできません」みたいな内容に変わっていたことがあった(と思うけど記憶違いかもしれない)のをみていたのに、なんでやめられなかったんだろう。さんざん助けてもらってるのに、なんで助けるどころか苦しめているんだろう。(苦しめている、と思うのもまたおこがましい気がする。)

そんなような気持ちがごちゃまぜになって、でも何らかの形で反応はしたくて拙すぎる文面でリプライを送ってしまった。その中でも書いたけれど、大森さんの言葉や音楽を聞くという選択肢が生活の中に増えたことで、殺すちゃんが増殖する頻度は圧倒的に減った。殺すちゃんを宥めたり消したりできるちゃんのようなものを勝手にもらって、勝手に救われている。
それなのにときどき耐えきれなくなってDMしてしまうあたり弱いんだろうなと思う。この記事を書いている時点で加害者ぶるんじゃねえよ、という感じだけど、これからなにかをどうにかしたいという意識表明です。

知的好奇心

これから書いた記事の下には、過去に書いた記事から選出された「関連記事」が表示されるらしい。かきなぐった自分の思考が分類されるなんて楽しそうだ!と思ったが今まで書いたぶんには反映されないとのことなのでひとまず新しい記事を書いてみる。そんなわけで特に内容はないです。

特定人物とのコミュニケーション不全により動悸息切れなどしていましたが、ふつーに話してみたらそこそこふつーに話せたので人を信じる心を失ってはいけないな…と思った。許せないと思ってたけど許す努力をしてよかった。許せた!はず!

毎日クソほどバタバタしているけど、なぜだか今日は気分がいいのでハッピーな気持ちで帰っています。労働時間とか睡眠時間をカウントしだしたらヤバそうなのでとりあえず目を背けている。私は元気だしそれなりに楽しいし、このまましあわせにいきたい。一昨日あたりはいっそなにもかも投げ出そうと思ったけれど、投げ出さなくてよかったね。

オフィスカジュアルの単位を落とし続けているのでどうやってクールビズしようか悩む。なんだかんだ朝夜寒いのでジャケットはいるよなあ…。週末に考えたい。

帰ったら22時よりの21時代だけど、とりあえずシャワーあびてご飯食べつつパソコンつけてせいこりんを携帯にぶちこんでからたまりまくってるアニメをみたい(多分無理)。

靖子ちゃんの新曲(コラボ曲?)にはやくお金を払いたいし無限にリピートしたすぎる(YouTubeだと他の作業できないのでちょっと不便)ので、今日こそクレカを財布から出してセキュリティコードを入れるぞ!待ってろよアイチューンズストア!!!

(追記)
思ってたより下の方に表示されてたから気づかなかっただけで、普通に過去の記事でも関連記事表示されてました…

行かないのか行けないのか

行きたいなーと思ってはいても、
①スケジュールが合わない(行けない)

②場所が遠いから行けない(行かない)
③一人だから行けない(行かない)
④ワンマンじゃないから行けない(行かない)

のような理由で現場に行けない(行かない)ことが多くどうにかしたいけど勇気と余裕と時間がなくてなんだかんだで諦めてしまう…。そろそろどうにかしないとな、とは思うしTwitterで写真やエピソードなど見るたびにうおおーーーってなるのもうやめたい。
行けない(不可能)と行かない(可能ではあるが…)に分類するなら大半が「行かない」なんだよなあ…全てをねじまげていきたいし会いたいと思うなら行けよという話なのはわかってるし、行きたいけど、結局行けてなくて、自分が悪いのになぜか凹んでしまった。

そこに行って話せる人がいないから、そこに行ってライブ以外の時間なにをどうして過ごせばいいのかわからないから、という言い訳をはやくどうにかしなきゃいけない。
端的にいうと友達が欲しいのかもしれない!小学生かよ!
もう日曜がしんじゃうから、小学生みたいなこと言ってないでおとなしく社会人に戻ります。

聖書みたいに君が好き(大森さん、あるいは靖子ちゃんの言葉について)

キリスト教を信仰してるわけではないので、聖書というものの認識が正しいかどうかはわからない。ただ、聖書は物事を考えるときの支柱になるものであり、生き方の基本になるよりどころのようなものなんだろうと勝手に解釈している。

 

何かに迷った時や感情の針が振り切れて処理しきれなくなった時、自暴自棄にならずに対処するためには冷静にならなくてはいけない。冷静になるための根拠として、揺らがない誰かの教えのようなものを頭の中に(もしくは心の中に)持っていられたら人間としては強いんじゃないだろうか。

自分の核にできる教えのようなものは、人によって形態は異なると思う。聖書のように本だという人もいるだろうし、アイドルのあの子がテレビで言っていたことかもしれないし、(「いつも笑顔な人が好きです」「包容力のある人が好きです」)、もしかしたら大好きな曲の一節かもしれない。

誰しも意識するしないに関わらずそういう支柱が頭の中にあって、四六時中ではなくともある程度はそれに助けられて生きているのだと私は思う。少なくとも私はそうだ。

今覚えている一番はじめの支柱は、昨今実写化で話題になっている『鋼の錬金術師』のセリフだ。「立って歩け、前に進め。お前には立派な足がついてるじゃねえか。」という旨のセリフを主人公のエドワード・エルリックが口にする。あまりに明快で、なおかつかっこよく、小学生の私の心が鷲掴みされたのは言うまでもない。だから、心がくじけた時(友達と喧嘩したとか、両親に怒られたとか、うまく成績が伸びないとか)にはこの言葉を反芻してやる気をひねりだしていたし、なんならエドワードのように強く賢くぶっきらぼうな優しさをもった人間になりたいと本気で思っていた。たぶん、行動の基準もそんなものだったと思う。

 

それから時は流れ、その間も様々な漫画やドラマ、そして小説から様々な形で多大な影響を受けた。セリフなら「変わりたいって思う気持ちは自殺だよね。」だとか、キャラクターなら「旅人さん」だとか。中高生時代のフィクション摂取量がえげつない。

いま覚えている、いないに関わらずそういったものに助けられてどうにかしなずにやってこられたのでオタク(あるいはフィクションを本気で楽しめるような人間)でほんとうによかった。

 

ようやく本題に入れる。タイトルで図々しくも名前を挙げさせていただいた通り、いま私が生きる支柱にしているのは超歌手🌏大森靖子さんだ。大森さんとのことについては手を替え品を替えこのブログのあちこちで記事にしてきたが、性懲りも無く今回の記事においても言及させてもらいたい。

大森さんの紡ぐメロディーも、大森さんの脳みそから発される言葉も、その繋がりも、なにもかもが好きだ。メロディーが好きと言うのが前提にあって、その上でマシンガンみたいに降り注ぐすごいパワーの歌詞に圧倒され、iPhoneで表示させた歌詞カードを見ながら聞いているうちにいつのまにか歌詞を覚えていて、口にしたときの気持ち良さを味わうというのを今のところどの曲でもやっているが、まだ飽きない。

そんなわけで、ここ二年ほど隙あらば大森さんの曲を流し、落ち込んでいようといまいと爆音でかけて一緒に歌うという生活をしている。

歌っていて気持ちがいい歌詞だというだけでなく、私にとって大きな救いにもなっている。例をあげれば枚挙にいとまがないが、今パッと思い出したのをとりあえず書き出しておく。

 

「進化する豚 今更だけどちょっとマジになっている」(♪Over The Party)

「だからSEKAINOOWARIより 終わってるわたしにできること」(♪hayatochiri)

「どうにだってできるほど美人じゃないけど まぁね それはそれ」(♪あれそれ)

「きれいに生きてはなくても きれいな音が出さればいいと思った」(♪ファンレター)

「運命をあしたから変えたいなら 今日と同じように今日こそはじゃなきゃだめだよ」(♪焼肉デート)

「なんでも幸せになれるなら 僕の音楽とらないで」(♪超新世代カステラスタンダードMAGICマジKISS)

「愛する気持ちだけでは 報われなかった全てを ああ 抱きしめる」(♪非国民的ヒーロー)

「はーい 好きでいいよ はーい もっと大胆に」(♪IDOL SONG)

 

厳選しようと試みはしたが、どれも好きすぎて選びきれないのでここらでやめておく。並び立てて何が言いたいんだ、という感じだろうのでいちおう解説しておくと、どのフレーズも何かのタイミングで心が折れた時に救われたフレーズなのだ。思い出そうと思えばその理由も思い出せるし、わりと強い記憶なんだと思う。心が折れた時のことを好き好んで思い出す趣味はないが、折れてそのまま放置したことを思い出すより折れた後立て直そうと奮闘したことを思い出す方がずっとマシだ。しかも私の中では勝手に「靖子ちゃんに助けられた」経験なわけだからさらにストレスは軽減される。

話がとっちらかってきた。私は大森さんに救われているが、別に救いを求めて聞きはじめたわけではない。ランダム再生していた曲の中にたまたまそのときの自分が求めていた言葉があって、たまたま勝手に救われただけだ。そしてこれは歌詞に限定した話ではなく、ブログ、twitter、MC、ラジオ等すべての媒体において起こったことだ。これもまた全ての事例を説明するのは冗長でアレなのでやめておくが、理不尽なことに見舞われすぎて、誰彼構わず嫌いになって当たり散らしそうだった時に「ハイパーメンヘラモード対処法」(http://lineblog.me/oomoriseiko/archives/13119298.html)というブログの更新があったのでやけにならずにすんだし、今でもことあるごとに「許せないやつ全員ゆるす!」という言葉を唱えてことなきをえている。

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最悪が重なりすぎていっそなにもかもやめるか?と思ったタイミングで非国民的ヒーローがかかり、「すぐにはゆるせない だけど引きずられたくない」!し「むくんだ身体で それでも 立ちたい」という気持ちになってどうにか家にたどり着けたこともある。

雨だけど仕事いかなきゃ、ユーウツだわーみたいな小さな悩みから、浮かびあがれないほど落ち込んでベッドでしんでる時の悩みまで、自己解決する時は基本的に大森さんの力を借りているんだなあということにふと思い至り、この気づきをいつか忘れちゃったらもったいないなという気持ちでブログを書いた。聖書みたいに靖子ちゃんが好きだし、きっとこれからも私の支柱であり続けると思う。

 

 

(昨日うっかり敬体で書いたらあまりにも気持ち悪いブログになって引いたので常体で書いたらそれはそれでなんか落ち着かないので、読みにくい記事に仕上がっていたらすみません。)

髪の毛を切った

切りました。以下他愛のない日記です。

就活生の見本みたいな髪型で五月を終えるのが嫌すぎて、六時代に退社できる日を見計らってホットペッパービューティーで予約を取り(電話しなくていいのサイコーすぎません?)、先輩方が仕事をしている中おずおずと退社し(定時はとっくに過ぎてるので合法ではある)、Googleマップを片手に美容院に行きました。

前回はじめて行ったところ(めちゃくちゃに安い)がコンクリートうちっぱなし、半袖黒革ジャンに黒手袋の無精髭なおにいさん店員という世紀末な感じだったのでびくびくしていましたが、千円くらい高いところにしたからかそこまでの世紀末ではなかったです。よかった。

それでも破格な感じなのでやっぱりコンクリうちっぱなしではあったのだけど、おねーさんがいい人すぎて世紀末感が薄まっていたのかもしれません。別にサロンに行きたいわけではなく、適度に会話してくれる人に通いやすい価格で切ってもらいたかっただけなので場所はそこまで重要ではないのですが。


結ばなくてもいいくらいのショートにしたいと五月頭から思い続けており、一度チャレンジするも五センチしか切ってもらえないなどの悲しみもあったので今回はかなり強硬にショートを主張してみました。


おねーさんはちょいちょい困りつつもワンレン前下がりボブ、後ろ刈り上げ的なスタイルを提案してくださり、めちゃくちゃかっこいいなと思ったのでそれにしてもらいました。


初対面の美容師に、人生初くらいのショートにされるってかなりアレじゃないですか?という話をされて、確かに…と思いつつどれだけ就活スタイルが嫌だったのかを再確認しました。なんか人権剥奪されてるみたいでいやだったんだと思います。あと普通にダサいし。かといって解くほど綺麗な髪ではなく、季節的にも暑かったので言い訳できないくらいのショートにしたかったんです。


そんなこんなで談笑しつつ(美容院で談笑できるのって都市伝説だと思ってましたがこんなこともあるらしい)、十センチから十五センチばかり切ってもらってほくほく家に帰りました。髪型決めずにくるし、イメージもないしでクソ迷惑な客だったのに優しくしてもらえて嬉しかったです。


帰り道、マジで人生はじめてくらいのショートなのがなんだか嬉しくて超絶にこにこしながら終始立ち漕ぎしてたんですが、今思うと完全にアホですね。楽しかったからいいけど。


職場と家族にもおおむね好評だった(似合わないと思いつつのお世辞も含むのは承知してますが見ないふりをする)ので、しばらくは自己肯定感高めに生きていけそうです。


と、思ってたのに退勤時に(終バス三つ前の時間なのに!)フロアに人がいすぎて、「先輩が残って仕事してんのにこんな時間に帰るやる気のないやつ」みたいになって心が萎えました。やること終わったら早く帰んなね、って研修でいったくせして早く帰ったらそんな風にいうんならはじめから早く帰れなんて言わないでほしい。でも髪型が気に入ってるのでギリギリ生きてます。お風呂はいってせいこりん聞いて、あと一日しっかり殺そう

だれかたすけてくれ

今までわりと仕事に対して楽観的で、すごーい!たのしーいばかりじゃないけどなんだかんだ大部分はたのしいと思いこむことができる!みたいな感じだったんですが、人間の関係的なアレやスケジュール的なソレが重なりマイナスな方向にばかりとらえてしまうようになったのでどうにか立て直したい。


「新人、なにもしなくてこまるよね〜部活みたいに先輩が後輩に教えてあげたらいいのに〜」

「能力ないのにちやほやされるから勘違いしちゃってんのよ、まだなんにもできないくせに」

「わかるわかる〜でもまあ上がしっかり研修しろって話よね〜」

↑という会話が背後のデスクで行われ、新人おりますけどー?!!!声潜めてても聞こえる距離に新人おりますけどー?!?!?!という気持ちになりながら10分ほど無の顔で仕事してたんですか、あれはわざとだったのか??新人の中でも特に私がクソという話?それなら直接言ってくれ、なんならそのまま殺してくれという極端な思考に陥りつつもせっせと資料を作り、確認していただき、資料を作り直し、定時を2時間ほどすぎたタイミングで退勤をキメました。

頭の中が久しぶりにぐちゃぐちゃになって、人や仕事のやなとこばかりが思い返されて、でもこれは一時的なものでさっきの会話を聞いてしまったのが原因なんだぞ〜と言い聞かせることでどうにか泣かず叫ばず電車に乗ることができたんですが、1人になったところでまたもやもやしてきて頭じゃすまなくなり胸の奥あたりがぎゅうって内側に引っ張られるみたいな状態になってきたのでとりあえず自己を客観視して苦しみを分離しようとブログを書いています。


適応機制(「合理化」みたいなやつ、フロイトさんの)の中の「知識化」というのに私はずいぶんお世話になっていて、ショックなことがあっていっそ死ぬか?となっている時はできるだけ冷静に客観的な立場から自分のことを分析する(「先輩の発言に衝撃を受けてナーバスになっているんだな、だから一時的に精神の均衡が保てなくなって過剰にマイナス思考になっているんだろう。しばらくすれば落ち着けるだろうから、とりあえず今は目の前の仕事に熱中しているような格好でいよう」)と少しだけひとごとになって一時的に回復できるような気がします。完璧に自分のことじゃないと切り離してしまうと支障があるので、あくまで対処療法でしかないのですが。

だんだん落ち着いてきました。

新人なのに最後までいないし、電話対応もしたことないし、先輩に気持ちよく仕事していただけないけど、それでもどうにか明日明後日出勤するぞ。そしたら二連休なので、しぬほどすきなことして心の回復をはかろう。