あんらくし

考えたことのメモなど

聖書みたいに君が好き(大森さん、あるいは靖子ちゃんの言葉について)

キリスト教を信仰してるわけではないので、聖書というものの認識が正しいかどうかはわからない。ただ、聖書は物事を考えるときの支柱になるものであり、生き方の基本になるよりどころのようなものなんだろうと勝手に解釈している。

 

何かに迷った時や感情の針が振り切れて処理しきれなくなった時、自暴自棄にならずに対処するためには冷静にならなくてはいけない。冷静になるための根拠として、揺らがない誰かの教えのようなものを頭の中に(もしくは心の中に)持っていられたら人間としては強いんじゃないだろうか。

自分の核にできる教えのようなものは、人によって形態は異なると思う。聖書のように本だという人もいるだろうし、アイドルのあの子がテレビで言っていたことかもしれないし、(「いつも笑顔な人が好きです」「包容力のある人が好きです」)、もしかしたら大好きな曲の一節かもしれない。

誰しも意識するしないに関わらずそういう支柱が頭の中にあって、四六時中ではなくともある程度はそれに助けられて生きているのだと私は思う。少なくとも私はそうだ。

今覚えている一番はじめの支柱は、昨今実写化で話題になっている『鋼の錬金術師』のセリフだ。「立って歩け、前に進め。お前には立派な足がついてるじゃねえか。」という旨のセリフを主人公のエドワード・エルリックが口にする。あまりに明快で、なおかつかっこよく、小学生の私の心が鷲掴みされたのは言うまでもない。だから、心がくじけた時(友達と喧嘩したとか、両親に怒られたとか、うまく成績が伸びないとか)にはこの言葉を反芻してやる気をひねりだしていたし、なんならエドワードのように強く賢くぶっきらぼうな優しさをもった人間になりたいと本気で思っていた。たぶん、行動の基準もそんなものだったと思う。

 

それから時は流れ、その間も様々な漫画やドラマ、そして小説から様々な形で多大な影響を受けた。セリフなら「変わりたいって思う気持ちは自殺だよね。」だとか、キャラクターなら「旅人さん」だとか。中高生時代のフィクション摂取量がえげつない。

いま覚えている、いないに関わらずそういったものに助けられてどうにかしなずにやってこられたのでオタク(あるいはフィクションを本気で楽しめるような人間)でほんとうによかった。

 

ようやく本題に入れる。タイトルで図々しくも名前を挙げさせていただいた通り、いま私が生きる支柱にしているのは超歌手🌏大森靖子さんだ。大森さんとのことについては手を替え品を替えこのブログのあちこちで記事にしてきたが、性懲りも無く今回の記事においても言及させてもらいたい。

大森さんの紡ぐメロディーも、大森さんの脳みそから発される言葉も、その繋がりも、なにもかもが好きだ。メロディーが好きと言うのが前提にあって、その上でマシンガンみたいに降り注ぐすごいパワーの歌詞に圧倒され、iPhoneで表示させた歌詞カードを見ながら聞いているうちにいつのまにか歌詞を覚えていて、口にしたときの気持ち良さを味わうというのを今のところどの曲でもやっているが、まだ飽きない。

そんなわけで、ここ二年ほど隙あらば大森さんの曲を流し、落ち込んでいようといまいと爆音でかけて一緒に歌うという生活をしている。

歌っていて気持ちがいい歌詞だというだけでなく、私にとって大きな救いにもなっている。例をあげれば枚挙にいとまがないが、今パッと思い出したのをとりあえず書き出しておく。

 

「進化する豚 今更だけどちょっとマジになっている」(♪Over The Party)

「だからSEKAINOOWARIより 終わってるわたしにできること」(♪hayatochiri)

「どうにだってできるほど美人じゃないけど まぁね それはそれ」(♪あれそれ)

「きれいに生きてはなくても きれいな音が出さればいいと思った」(♪ファンレター)

「運命をあしたから変えたいなら 今日と同じように今日こそはじゃなきゃだめだよ」(♪焼肉デート)

「なんでも幸せになれるなら 僕の音楽とらないで」(♪超新世代カステラスタンダードMAGICマジKISS)

「愛する気持ちだけでは 報われなかった全てを ああ 抱きしめる」(♪非国民的ヒーロー)

「はーい 好きでいいよ はーい もっと大胆に」(♪IDOL SONG)

 

厳選しようと試みはしたが、どれも好きすぎて選びきれないのでここらでやめておく。並び立てて何が言いたいんだ、という感じだろうのでいちおう解説しておくと、どのフレーズも何かのタイミングで心が折れた時に救われたフレーズなのだ。思い出そうと思えばその理由も思い出せるし、わりと強い記憶なんだと思う。心が折れた時のことを好き好んで思い出す趣味はないが、折れてそのまま放置したことを思い出すより折れた後立て直そうと奮闘したことを思い出す方がずっとマシだ。しかも私の中では勝手に「靖子ちゃんに助けられた」経験なわけだからさらにストレスは軽減される。

話がとっちらかってきた。私は大森さんに救われているが、別に救いを求めて聞きはじめたわけではない。ランダム再生していた曲の中にたまたまそのときの自分が求めていた言葉があって、たまたま勝手に救われただけだ。そしてこれは歌詞に限定した話ではなく、ブログ、twitter、MC、ラジオ等すべての媒体において起こったことだ。これもまた全ての事例を説明するのは冗長でアレなのでやめておくが、理不尽なことに見舞われすぎて、誰彼構わず嫌いになって当たり散らしそうだった時に「ハイパーメンヘラモード対処法」(http://lineblog.me/oomoriseiko/archives/13119298.html)というブログの更新があったのでやけにならずにすんだし、今でもことあるごとに「許せないやつ全員ゆるす!」という言葉を唱えてことなきをえている。

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最悪が重なりすぎていっそなにもかもやめるか?と思ったタイミングで非国民的ヒーローがかかり、「すぐにはゆるせない だけど引きずられたくない」!し「むくんだ身体で それでも 立ちたい」という気持ちになってどうにか家にたどり着けたこともある。

雨だけど仕事いかなきゃ、ユーウツだわーみたいな小さな悩みから、浮かびあがれないほど落ち込んでベッドでしんでる時の悩みまで、自己解決する時は基本的に大森さんの力を借りているんだなあということにふと思い至り、この気づきをいつか忘れちゃったらもったいないなという気持ちでブログを書いた。聖書みたいに靖子ちゃんが好きだし、きっとこれからも私の支柱であり続けると思う。

 

 

(昨日うっかり敬体で書いたらあまりにも気持ち悪いブログになって引いたので常体で書いたらそれはそれでなんか落ち着かないので、読みにくい記事に仕上がっていたらすみません。)