あんらくし

考えたことのメモなど

ラブユー

お久しぶりです。おなかがいたすぎて笑う。笑えない!トイレとソファをいったりきたりです🚽



ちょっと前に突然55回分のアクセスがあり、何がどうなったのか?!と思っていたのですが(いつもはたいてい一桁代なのです)このブログの記事数がだいたいそのくらいなのですね。さっき気づいておおー!となりました。もしかしたら全然違うかもだけど、一周してくれたのだとしたらめちゃくちゃ嬉しいです、ありがとうございます!!!


自分で読み返すとその時々の思い出がぽろぽろしてしまい辛くなったりするのでそんなに読み返したりはしないのだけど、考えたことが記録として残っているのはなんだか悪くない気分だなあと思います。もっと時間が経ってから読み返したら笑い話になってるのかもだし。

2013年からツイッターをやってるらしい(この前ツイログに登録した時に知った)のですが、初期のツイートでひたすら苦しんで呪詛を吐き続けたことについての記憶がもうないし(!!)、そんなものなのかもしれない…


やることやらなきゃ(呪文)を唱え続けてそろそろ一ヶ月になるので、覚悟を決めてどうにかやるだけやってみなくてはならない!やる!と書くことによって自分にプレッシャーをかける作戦。

超無理

頭の悪そうなタイトルになった。いつも通り頭の悪い記事です。


はーーーーもう無理、なにが無理って全部無理、自分無理、地雷です爆発して!みたいな気持ちになる時期が訪れてしまったのに人と会うイベントが重なりむやみやたらとイライラしてしまう。


かわいくなりてーーよ!と思うけど努力と情熱が足りないんだろうな 何かの間違いで起きたら美少女になってたら自分のこと絶対的に肯定できるのにな いやになっちゃうな

化粧品を使い切るまで次が買えない症候群なので試してみたいものを覚えてる限りでほしいものリストにつっこんでやけくそになり公開するなどした 気が向いたら優しくしてやってください


帰ったら化粧おとしてふかふかの寝巻ききて好きな色に爪を塗って朝まで起きてよう

今までの経験からいってこういうときにわざわざ泣いてもさほど効果はないのでめいっぱい楽しいことして何かのはずみで涙腺をぶちこわしてぼろぼろ泣いた方がよい はず


ぜーんぶむり、むりだけどここで落ち込んで泣き寝入りするのはもっとむりだから帰ったら陽気に振る舞おう 次はしぬきで懇親会にでようね私よ

まじめを評価してくれ

まじめかまじめじゃないかと言えばどう考えてもまじめよりな人間なので、それを評価されたいと思ってしまうよね。(対外的にまじめ、というのであって芯からまじめなわけではないです)


ワイドショーとかバラエティーとかで「まじめ」が取り上げられる時、それは当然のように評価されている。でもそれは「いつも飄々としている人」や「いつもは天然な発言をしてつっこまれている人」や「何も考えていなさそうなキャラクターの人」が実は「まじめ」だからその二面性?裏の努力?が評価されているような気がしてしまう。もしくは「えらい学者先生」や「●●賞受賞作家」は「まじめ」すぎておかしいよね(笑)みたいな取り上げ方だったり。そんなにテレビをみているわけではないので、偏った見方でしかないのだけど。


なんだろう、「成績がそれほどよいわけではないが、クラスの中では積極的に発言して目立つ存在」と「成績は平均以上だが、親しい友人としか話さずそれほど目立たない存在」がいた時に教師がかわいがるのは前者みたいな…。後者は便利だけどかわいげがない、みたいな…。勉強しろと言ってもしないけど、授業中話を振ったら楽しそうに反応してくれる子の方が先生としては印象に残ってる理不尽さというか。気持ちはわかるけど評価されてえーー宿題もまじめにやってくしテスト勉強もまじめにやっていい点とってるんだからめちゃくちゃに褒められてえ!!!!という気持ちで生きてるんだけどものすごく優秀という領域には達せないのでちゅうぶらりんで満たされない。承認してくれ、褒めてくれ!

考えることをやめたら楽になるけどいつか死ぬ

あけましたね!なんか全然明けてる実感がないし、やっぱり自宅にいないと気が休まらないよねという気持ちです。おうちだいじ。

なにも考えないイエスマンであることを求められた四日間だったので、脳が暇になっていろいろ考えたのでいろいろ書きます。考えたことそのまま文字におこしてるだけなので、常体と敬体が入り乱れて読みにくいかもしれないです。

めずらしくtwitterにかきたい内容をメモしたので一応貼り付けておきます。見取り図的な。


内容ここから↓

同じところをぐるぐるまわっているだけ

救世主になるしか愛される道はない

友人の親友に寛容になれない

一旦わからなくなるとどうやって納得していたのかすっかり忘れてしまう

悟りと思考停止は似ている

内容ここまで↑


●同じところをまわっている

年末、いつになく精神が安定しており(卒論を出したからだと思う)自分を取り巻くだいたいのことに納得していた。納得がいかないことについてもどうにか理由をつけて納得できる思考回路があったのだと思う。結局のところ人は一人でしか生きられないし、私を救えるのは私だという実感があったことだけは覚えている。

安定状態にあったはずなのに、ふとしたきっかけで精神が摩耗してその状態を保てなくなってしまった。(どう考えても帰省のせい)前にも少し書いたけれど、私の精神力(?)は分野別に分かれているわけではないので、家庭、学校、友人、twitterというそれぞれの場所で蓄積されたダメージは場所を変えても引き継がれてしまう。説明が下手でわかりにくいやもですが、ソシャゲのようにあるステージをクリアしたら体力全回復というわけではなく、ポケモンのような感じだと思ってもらえればと思います。どく状態もねむり状態とこんらん状態もあるしね!

そんなわけで、帰省のためにどく状態にあった私は、ストレスと向き合うためのtwitterの何気ないつぶやきによって勝手にダメージを受け、瀕死になってしまい安定した思考回路は死んでしまったのでした。


●友人の親友に寛容になれない

ダメージの原因は親しい(と自分が思っている)人が友人にまつわるつぶやきをしていたことでした。

しょうもな!と思うけど小学校時代から延々とこの類のダメージを受け続けているのでもう治らんのかもしれない。私が好きになる人は魅力ある人で(私が、というより誰かに好かれる人はという方が適切か)、私以外にもたくさんの友達がいて、必要とされていて、私はあくまでもワンオブゼムにしかなりえない。なぜなら釣り合うだけの魅力も努力も持ち合わせていないからだ。そこで努力して好きな人に見合うようになろう〜という方向ではなく、親友氏はあんなに親しく楽しそうなのにそれに比べて私は魅力もなく親しくもなれずこのままずっと誰の一番にもなれず死んでいくんだろうな(発想の飛躍)という方向に進んでしまうからいけないんだろうな。

そんなわけで、友人(知り合い)の親友に寛容になれないのでした。twitter、このアカウントに限らずみんな誰かと遊んだ写真とか思い出話とかをあげることが多いツールなので傷つきがち。


●救世主になるしか愛される道はない

↑雑誌の見出しみたいになってちょっと笑った。季刊誌『愛』。

自分が誰かの一番になり、確実な愛を手に入れるためにどうしたらよいかというと、救世主になるのが一番てっとりばやいと思っています。愛の見返りに与えるものの多さを考えないとすればの話ですが。

困っている人や苦しんでいる人のところにいって、「私はあなたの味方ですよ」「あなたは価値のある人間ですよ」というようなことを囁くのが救世主の仕事です。拒まれ、疎まれてもめげずにそれを続ければ相手はいつかあなたを受け入れ、愛し、尊重して一番にしてくれることでしょう。その代わり、あなたは人格を認められず、相手の望むことすべてに出来る限り応え、昼夜問わず愚痴を聞き、慰め、時に詰られ、理不尽な行いに堪えながら暮らすことになります。

過去一度こういうことをやり、疲れに疲れてもうやるまいと思ったので私はもう二度とやりたくないですが、私の愛の根底にはこの考えがあるんだろうなと思います。代償を払うから愛をくれ、優しくしてくれ。虚しくなるだけですが。


●一旦わからなくなるとどうやって納得していたのかすっかり忘れてしまう

そんなわけですっかり精神の均衡を失い、新年二日目からこんな記事を書いているわけですがこれまで一体どうやって安定状態を保っていられたのか本気でわからなくなって困っています。自分を納得させられるだけの理論を、どうにか構築し終わったはずだったのに!また寂しい苦しい助けてくれと言い続けるだけのbotになってしまう。それはよくない。


●悟りと思考停止は似ている

でもまあ、自分を納得させるための思考回路といってもその実穴だらけだったためにこんなことになってしまったのであり、思考回路が完成したことに喜んで安住するのではなくより精巧に盤石なものにしようとしていればよかったのかもしれないとも思います。悟りを得たといえば聞こえはいいけれど、ある程度のところで思考停止して全てがうまくいったと思い込んでいるだけと言われたら否定できないし。今年もせいぜい自分を救う方法を考えていきたいです。どうぞよろしくお願いいたします。


自虐と言い訳

息をするように人前で自虐をしてしまうの、なんとかしたすぎるんですがまだ完治しないし無理なんじゃなかろうかと思えてきた。


「しぬほどつらくてボロボロで泣きそうで疲れていたとしても、人前に出たらへたくそな作り笑いで平気なふりをして自分の死体をハイヒールで踏みつけながら話してしまうような人間だ」という旨のつぶやきをした覚えがあり、自分をよく表せているなあと気に入っていたのだけどうまく見つけられなかった。誰かのツイートを自分の発言だと思い込んでるのか?こわすぎる



話がそれました。ともあれ、そういう人間なので息をするように自分を下げてしまうしそれによって笑いをとれればいいけど困ったような顔で否定させてしまうことがあり、その瞬間世界で最も愚かな人間であるという自覚から爆発四散したくなってしまう。優しさでしぬ。相手に申し訳なさすぎる。


自虐とは少しずれるかもですが、「全ての行為に対して言い訳をするのやめた方がいいよ」と親友なる人から言われたことがあり顔から火が出てしにそうになったことがあり、未だに思い出してはのたうちまわってしにたくなる。


例えば、意を決して化粧をしたときに(それまでかたくなにしていなかった)「その年で化粧せずに外出するとか視覚の暴力でしょって母に言われたから(※言われてない)大人しく化粧してきた」とか、そういうことです。あ、むり。ふつうにつらくなってきたから例の詳述は控えます。

とにかく、そんな感じで暮らしていたら唐突に「気づいてないかもしれないけど、会うたびに出会い頭に言い訳してるよ。うつみが思うほどみんなうつみのこと気にしてないんだから、そんなに言わなくてもいいのにっていつも思ってた」という旨のことを笑い話の体で言われ、私ったら自意識過剰かよ〜困っちゃうね!みたいな雰囲気で受け流したあと家に帰ってのたうちまわったことがあります。


全然まとまらない!自虐も言い訳も基本的には相手がいなきゃできないことで、相手にも自分の視界(私は人より劣っているため、言い訳をしなくては何もできない)を強要することだからやりすぎるのはよくないよね、という話でした。わかってるんだけどこれ以外にどうしたらいいかわからん。

かなしいきもちになるものどうして見ちゃうの

どうしてでしょうね!自分が選ばれなかった代表の発表!!わかってるのに!!!!!!!


取り乱しすぎました。でも見ちゃうよね。自分の悪口言われてたら聞いてしまうし。噂話は聞きたいし。しにてえな。


小学生の時、そこそこ仲良しだった子が誰かとやっている交換ノート(穴あけパンチで穴をあけて、そこに南京錠をいれて読めないようにしていた。発想がすごい)の中身が気になりすぎて、どこかのタイミングで自分の手提げ袋に入れて知らん顔をして持って帰ったことがあります。

家に帰ってからハサミで穴の周りを切り取って、中身を読んだのだけど何がかいてあったか忘れてしまった。私の悪口がかいてあることを期待していたのに、確かなかったんだと思います。

 なくてうれしいはずなのにね。自分が選ばれなかったことの証明を見ることで、自分への期待を、ハードルを下げようとしてるんだろうけどこれは自傷行為でしかないし、ほんとにもうやめた方がいいよ。自分を大切にしなさい。

I CANNOT

うまくはなすことができない!何を話したらいいのかわからない!というような話です。


自分の意見を人に伝えるのが難しい。それはもとからそうなんだけど、最近とみにその傾向が強くなってきた気がする。なんでだろうと思ったら最近本を読んでないんですよ。

大学に入ってからスマホになって、暇な時間を吸い取られてしまって(意志が弱い)本を読む機会が授業以外で極端に少なくなってしまった。

中学校〜高校にかけては週に一度図書館に通って本を上限まで借りて帰る、というのをやっていたのだけど、それはなんだかずいぶん私の血肉になっていたみたいだ。

久々に図書館に行ったら、見覚えのある背表紙がけっこうあってなんだか楽しかった。用がある本は一冊だけだったのに、もう一二冊家に持って帰りたくなってすこし長居してしまった。(そしてその本をまだ読んでいない!)


小説も漫画も全然かいていないし、言葉の感度が鈍ったような気がしている。もとから鈍角だったのに…。言葉との距離を縮めなきゃな、と思うしもうすこし物事を自分の頭で考えたい。