あんらくし

考えたことのメモなど

「僕」は「おまえじゃなかった」(大森靖子「シンガーソングライター」考察)

◯前置き

※超歌手・大森靖子さんの新曲「シンガーソングライター」について考えてみた。

※職業の区分としては「シンガーソングライター」だが、世間における「シンガーソングライター」の認識とは齟齬があるため大森さんは「超歌手」という肩書きで活動している。

 

◯曲について(大森さんのインタビューより)

この記事を読む前に各記事全文を一読してほしい。以下、考える際に参考にした一部を引用する。

(文字色変更:筆者)

 

「曲」って、楽家によっていろんな書き方があると思うんですけど、自分が一番好きなものも、向き合っているものも音楽だから、音楽についての曲を書こう」という時がたまにあるんですよね。過去にもいくつか出しているんですけど、今回はそのシリーズの中の1曲で、「シンガーソングライター」という楽曲です。

引用元: https://aroom.net/entertainment/oX0KK

 

ーー大森さんは、「パーティドレス」(2012年『PINK』収録曲)の頃から「楽曲の主人公=大森靖子」と解釈されることに違和感があったと思います。「シンガーソングライター」も、大森さんからのメッセージだとファンは受けとると思いますが、必ずしもそうではないわけですよね?

大森:全部考えてほしくて。だから反語をいつも使っているんです。〈STOP THE MUSIC〉と歌っているのも、「音楽を止めるな」と言われるよりも「音楽を止めろ」と言われるほうが、本当に止めたくないのか、ちゃんと考えるじゃないですか。そういう言葉の使い方をずっとしているんですけど、そういうふうに日本語はもう使われないんだな、って。反語が日本語の面白いところだったのに。

ーーつまり「シンガーソングライター」の歌詞は、なぜそう歌っているのかを聴いた人に考えてほしいという構造になっていると?

大森:なっているし、しています。「音楽との向きあい方を考えて」みたいな曲をたまに私は作るんですけど、そのひとつだと思います。

ーー「シンガーソングライター」に〈共感こそ些細な感情を無視して殺すから〉という歌詞がありますが、共感されることに懐疑的な姿勢は以前から変わらないものですよね。

大森:危険だと思います。たとえば好きな食べ物で、「ちょっと苦味があってグニャっとしていて、なんか気持ち悪いけど癖になる、好き」というものがあったとする。それを他の人が「これめっちゃ好き」って言いだして、「そうそう、いいよね!」って共感したとき、「気持ち悪いけど」という文脈は削られる。それを省くような共感は好きになれないな。たとえば「信用していたけど裏切られました」みたいな話ってめっちゃされるけど、「こいつって悪いところがあるけど、ここはマジでいいやつで、こういうところで嘘はつかないけど、こういうことは言っちゃうよね、でも好き」というのが「信用」じゃないですか。そういう人間の細かい特徴を削られるのが苦手だから、共感という感情を消したいと思っちゃう。

引用元: https://realsound.jp/2020/07/post-592609_1.html

SNSでの友達の選び方とか、ブロックすれば友達をやめられるとか、そういうところからだと思うんですけど、自分の欲しい情報を選んで取れるっていうのはすごくいいことけど、でも何かもっと訳の分からないことを想像していく方が楽しいし、分からないものを理解していくことが想像力なので、その感覚の方をもっと大事にしたい。

そう思って表現活動をしていて、人間のダメなところをもっと歌いたいとか、ここはまだ言語化されていない表現だから表に出したいとか、そういうものを大事にしているから、懐疑心や想像力、優しさを持ってほしいなって願いがこもっています。

 引用元: https://thetv.jp/news/detail/239365/amp/?__twitter_impression=true

 

――自分で曲を書いて歌う活動自体はまさにシンガーソングライターそのものながらも、「刺さる」音楽を通じて聴き手と感情を共有しがちなカッコ付きの「シンガーソングライター」ではないというジレンマが生まれる、と。

 

大森 あとシンガーソングライターというと、自分のことを歌う人だと思われがちだけど、私は「私はこういう人間です」と歌っているわけではない。「自分の視点でそのときどきの空気を切り取りたいな」と思っているだけ。そういう意味でも周りの方と私のシンガーソングライター像に齟齬が生まれていて。その齟齬や苦手意識を自分なりに因数分解していったら、なにか見えてくるものがあるんじゃないか? と思って作ったのがこの曲なんです。

 引用元:https://avexnet.jp/column/detail.php?id=1000387

 

私の場合は曲ごとに「この感情を入れよう」という感じでもなくて、フレーズごとに違う人格をいれる感覚でやっているんですけど、シンガーソングライター特有の「これが私だ」というのが苦手で…

 

あと、私とあたしの使い分けもあって、「私」と書く場合は人に見せる自分、「あたし」と書くときは内面の自分だったり。

 

――そういった意味で使い分けているんですね。あと、歌詞にある<前髪長すぎ予言者>というのは?

 例えば営業のセールスマンが目が見えないくらい、前髪が長かったらその人の話なんて聞こうと思わないじゃないですか。でも、目が見えないくらい前髪が長くても、その人の言っていること、歌っていることを信用されるのは、ミュージシャンぐらいなんじゃないかなって。

 引用元: https://www.musicvoice.jp/news/202008020158639/

 

――でも今の時代、売れるためには共感って重要視されるポイントではないですか?

大森 それでもその共感が本物かどうか懐疑心を持つことを育てたいです。でも、1回刺さらないとそれすら伝わらないのでメジャーにいます……(笑)。

 私の曲も“刺さる曲”として語られがちですが、曲によって人格が崩壊しているはずなので、「そんなことないんだよな~」と思ったりもします。あえて前とは真逆の曲をやろうとかもあるので。

 みんな簡単に刺さりすぎだと思うんです。もう少し、“硬い皮膚”を持ってほしい。「そんなに刺さりまくってたら自分がいなくなっちゃうよ、刺されて死んじゃうよ」って感じます。

 引用元:https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2008/01/news015.html

 

◯MV

youtu.be

巨大で透明なふうせんに入った大森さんの他に、イヤホンで音楽を聴く男性やスマホ片手に女性を踏みつける男性、布マスクを2枚つけて砂浜を走り回る男女(「自粛してください 次発見したら警察を呼びます」の紙をバルーンに貼ってくる:街中で倒れている)が出てくる。

ここから、「シンガーソングライター」(歌をつくって歌う人)と、「音楽を聞く人」(ファンに限らず、ラジオから流れているのをたまたま聞いた、とかも含む)が曲の中に登場するのではないかと考えた。

 

〇本編

はじめに結論を書いておくと、これは「歌を歌う人」と「それを聞く人」の物語であると私は考える。図にするとこんなイメージ。

 

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以下、歌詞を引用しながら解釈をしてみる。

ゆれる やれる 電車もビルもおわりの道具に見えたら
ぼくも なんか 生きてるだけで 加害者だってわかった

視界が涙で「ゆれる」し、「おわりの道具」である「電車」に飛び込むことや「ビル」から飛び降りることも意を決すれば「やれる」。

「ぼく」(=歌を歌う人)は何か(誰か)の言葉やふるまいによって傷ついて、死を考えるようになった。そのため、自分も自覚はないけれどきっとどこかで誰かを傷つけているのだろうと思うようになった。

 

野菜や肉 断面をラップ ポカリで全部治りゃしない
尻拭いをさせられるほうが楽

もっと 人でなしの感情は心じゃないのか
ラクル馬鹿者丸腰

「ぼく」も普通に生活しているので、料理をする中で使いきれなかった「野菜や肉」の「断面をラップ」したりするという生活の一コマ。

いろいろなことで心と体が病んでもそういう生活は続いていくし。その状態は、けして『ポカリ飲んで寝てれば治るやつ』ではない。けれどもつかれているのでそれくらいしかできない。

自分がそうやってどうにか生きている状態なので、他人とかかわる気力もあまりない。精力的にかかわって相手のことを理解しようと努めれば未然に防げたかもしれないことも、それが起こってから「尻拭いをさせられるほうが楽」じゃない?というくらいに思ったりするような考え方は、世間一般でいわれる完璧な「ふつうの人」とは乖離している。「ふつうの人」じゃない感情(「具合悪いなら病院でもなんでもいって治せよ」「いつでも人と向き合って事故は未然に防げよ」)は誰も表立っていわないけど、そういう「人でなしの感情」もあなたの「心じゃないのか」?そんなことをこうして言葉にして歌っているのは、世間的に見たら「ミラクル」なくらい「馬鹿者」だけど、あくまで「丸腰」の「ぼく」は誰かを傷つけたいわけでも糾弾したいわけでもない。

 

生きさせて 息させて 遺棄させて
なんなら抱いてもいいから

そういう感情だって歌にして「息させて」、ためこまず口に出して「息させて」、ことばにしたら体の中にたまっていた正体不明のもやもやは形を得て消えるから「遺棄させて」。

この歌を都合よく自分の気持ちみたいに「なんなら抱いてもいいから」。(本当なら自分で考えてほしいけど、歌を抱くことでその材料になるなら好きに使ってくれていいから)

 

狂わせて 狂わせて 狂ってたら
入場できない?むしろ割引けよ
お前に刺さる歌なんかは
絶対かきたくないんだ
人違いバラバラ殺歌
シンガーソングライター

 (音楽で私を)「狂わせて」、あなたも「狂わせて」。

(発狂するとかじゃなく、世間一般で求められる「ふつう」から抜け出させて)

『(狂ってたら学校に/会社に/行かねばならないどこかに)「入場できない?」』いや「むしろ割引けよ」!

それをゴチャゴチャ言ってくる「お前」、考えもせず「刺さる」で思考停止する「お前」、抱いただけで捨てた「お前」に「刺さる歌なんかは絶対かきたくないんだ」。

お前『そんなこと私が好きな「ぼく」は言わない!』←「人違い」だよ!歌詞を「バラバラ殺歌」してある一節だけ切り出して「シンガーソングライター」の「ぼく」自身だなんて思わないでよ。

-------------------------ここまでが「ぼく」の話-------------------------

ここで一度視点が変わって、「ぼくの歌を聞く人」の日常へ。

human rights,beautiful,目と鼻と口
台風一過の朝凪

「human rights」=人が持つ権利(人権)、人間は生きているというだけで「beautiful」(うつくしい)「目と鼻と口」を持っている。

そのはずなのにぼくは(一般的に)うつくしくないと思われる「目と鼻と口」だから、心が荒れて病み散らかした後の朝はまるで「台風一過」みたいにふしぎと凪いでいる。

 

死んでもいい幸せなんて せいぜいコンマ1秒

 今が最高!「死んでもいい」!なんて思える「幸せ」はライブに行ったり曲を聞いたりしているその瞬間「せいぜいコンマ1秒」が限界。そうじゃない現実が襲ってくる。
 
選択肢なくて パパ活で整形
奴隷なの誤魔化してる
 そんな「ぼく」が生きるためには「選択肢なくて」、「パパ活」でお金を稼いで「整形」した。『二重じゃないと』『華奢じゃないと』『〇〇じゃないと』みたいな価値観の「奴隷なの」気づかないふりして「誤魔化してる」。
 

所詮歴史がぼくをつくっただけなの
どうして美しくないのかな
正義の面こそ 知らぬが仏レイシスト

 美しいとされるものなんて「所詮歴史」がつくったもの。それを背負ってこの「ぼく」ができたのだから、正しくて美しいはず(整形して『美しい』とされる顔になったはず)なのに、「どうして美しくないのかな」。

『整形なんてやめなよ』『親からもらったからだが一番かわいいよ』なんていう「正義の面」なんて世間的正論は「レイシスト(人種差別主義者)」の言説みたいに「知らぬが仏」。

 

言わないで 言わないで 今なんか
うざいの耐えられないから

そういう『正しいこと』『耳ざわりがいいこと』なんて「言わないで」。

「今なんか」メンタル荒れてて「うざいの耐えられないから」。

 

車乗って来るまでに 携帯は
通信制限超えてとまった
それっぽいうたで流行ってる
前髪長すぎ予言者 話暗くて勘弁

パパ活するために「車乗って来るまでに」、好きな歌の動画みてたら「携帯は通信制限超えてとまった」。仕方がないから車から流れてくる歌を聞くしかない。

カーナビにうつる「前髪長すぎ」なシンガーソングライターは、まるで「予言者」のように誰かの人生で起こるかもしれないことを歌っている。そんな「話暗くて勘弁」。

 

-------------------------ここからまた「ぼく」の話-------------------------

全てわかったと酔っている歌歌歌歌
共感こそ些細な感情を無視して殺すから

 『きみたちのことは「全てわかった」』ような態度で自分に「酔っている」「歌」があふれている。『この曲わかる』という「共感」で思考停止して自分の中にある自分にしか持てない「些細な感情」を「無視して殺すから」(すきじゃない)。

STOP THE MUSIC, STOP THE MUSIC
STOP THE MUSIC, STOP THE MUSIC
STOP THE MUSIC, STOP THE MUSIC
STOP THE MUSIC, STOP THE MUSIC
STOP THE MUSIC, STOP THE MUSIC
STOP THE MUSIC, STOP THE MUSIC
刺さる音楽なんて聴くな
おまえのことは歌ってない

 そんな風に思考停止するのなら「STOP THE MUSIC」

音楽を止めて、立ち止まって自分の「些細な感情」と向き合え!

「刺さる」で止まるなら「音楽なんて聴くな」、これは「ぼく」が考えた/見た/感じた/想像したことを歌っているんだ、どんなに「共感」したとしても「お前」の内面にある「おまえ」そのものなんかじゃない。

 

生きさせて 息させて 遺棄させて

なんなら抱いてもいいから

狂わせて 狂わせて 狂ってたら
入場できない?むしろ割引けよ

愛させて 愛させて 愛してる
一生映えてろ 僕はいちぬけた

 「ぼく」が考えた/見た/感じたことを歌にして「生きさせて 息させて 遺棄させて」、「なんなら抱いてもいいから」ちゃんと考えて。「ぼく」を「愛させて」聞くあなたを「愛させて」、あなたを「愛してる」。

「刺さるね」「きれいだね」で止まって何も感がないなら、そうやって「一生映えてろ」。シンガーソングライターとして表舞台に立つ「僕はいちぬけた」。

 

アンチも神もおまえ自身
僕はここにいる肉の塊さ
人違い 僕を壊して
シンガーソングライター
救いたい おまえじゃなかった

 「僕」のことをきらい(「アンチ」)でもすき(「神」)でもそれは「僕」自身じゃなくて、「おまえ自身」。「おまえ」の中の許せないところや「おまえ」の中の気に入っているところを「ここにいる肉の塊」=「僕」に見出しているだけ。

「〇〇なところが好き」「××なところが嫌い」なんて言うけど、そんなの全部「おまえ」のことで、「人違い」。

偶像化している『シンガーソングライター』の「僕」なんて壊してよ。そしたら、「僕」のことを好きとか嫌いとかじゃなくて、それを通してみているはずの「あなた」自身が見えるはず。それを「救いたい」。ほらやっぱり、「ぼく」は「おまえ」じゃなかったでしょう?

 

〇まとめ

「刺さる音楽」を聴いて「わかる!」と共感して終わるのではなく、「歌っている人」の「アンチ」になったり盲目的に「神」とあがめるでもなく、「おまえ自身」と向き合って思考して「些細な感情」を殺さず言語化しなよ。でないとそのうち「おまえ」なんてなかったことにされちゃうよ。

という歌なのではないか、という話でした!