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あんらくし

考えたことのメモなど

考えることをやめたら楽になるけどいつか死ぬ

あけましたね!なんか全然明けてる実感がないし、やっぱり自宅にいないと気が休まらないよねという気持ちです。おうちだいじ。

なにも考えないイエスマンであることを求められた四日間だったので、脳が暇になっていろいろ考えたのでいろいろ書きます。考えたことそのまま文字におこしてるだけなので、常体と敬体が入り乱れて読みにくいかもしれないです。

めずらしくtwitterにかきたい内容をメモしたので一応貼り付けておきます。見取り図的な。


内容ここから↓

同じところをぐるぐるまわっているだけ

救世主になるしか愛される道はない

友人の親友に寛容になれない

一旦わからなくなるとどうやって納得していたのかすっかり忘れてしまう

悟りと思考停止は似ている

内容ここまで↑


●同じところをまわっている

年末、いつになく精神が安定しており(卒論を出したからだと思う)自分を取り巻くだいたいのことに納得していた。納得がいかないことについてもどうにか理由をつけて納得できる思考回路があったのだと思う。結局のところ人は一人でしか生きられないし、私を救えるのは私だという実感があったことだけは覚えている。

安定状態にあったはずなのに、ふとしたきっかけで精神が摩耗してその状態を保てなくなってしまった。(どう考えても帰省のせい)前にも少し書いたけれど、私の精神力(?)は分野別に分かれているわけではないので、家庭、学校、友人、twitterというそれぞれの場所で蓄積されたダメージは場所を変えても引き継がれてしまう。説明が下手でわかりにくいやもですが、ソシャゲのようにあるステージをクリアしたら体力全回復というわけではなく、ポケモンのような感じだと思ってもらえればと思います。どく状態もねむり状態とこんらん状態もあるしね!

そんなわけで、帰省のためにどく状態にあった私は、ストレスと向き合うためのtwitterの何気ないつぶやきによって勝手にダメージを受け、瀕死になってしまい安定した思考回路は死んでしまったのでした。


●友人の親友に寛容になれない

ダメージの原因は親しい(と自分が思っている)人が友人にまつわるつぶやきをしていたことでした。

しょうもな!と思うけど小学校時代から延々とこの類のダメージを受け続けているのでもう治らんのかもしれない。私が好きになる人は魅力ある人で(私が、というより誰かに好かれる人はという方が適切か)、私以外にもたくさんの友達がいて、必要とされていて、私はあくまでもワンオブゼムにしかなりえない。なぜなら釣り合うだけの魅力も努力も持ち合わせていないからだ。そこで努力して好きな人に見合うようになろう〜という方向ではなく、親友氏はあんなに親しく楽しそうなのにそれに比べて私は魅力もなく親しくもなれずこのままずっと誰の一番にもなれず死んでいくんだろうな(発想の飛躍)という方向に進んでしまうからいけないんだろうな。

そんなわけで、友人(知り合い)の親友に寛容になれないのでした。twitter、このアカウントに限らずみんな誰かと遊んだ写真とか思い出話とかをあげることが多いツールなので傷つきがち。


●救世主になるしか愛される道はない

↑雑誌の見出しみたいになってちょっと笑った。季刊誌『愛』。

自分が誰かの一番になり、確実な愛を手に入れるためにどうしたらよいかというと、救世主になるのが一番てっとりばやいと思っています。愛の見返りに与えるものの多さを考えないとすればの話ですが。

困っている人や苦しんでいる人のところにいって、「私はあなたの味方ですよ」「あなたは価値のある人間ですよ」というようなことを囁くのが救世主の仕事です。拒まれ、疎まれてもめげずにそれを続ければ相手はいつかあなたを受け入れ、愛し、尊重して一番にしてくれることでしょう。その代わり、あなたは人格を認められず、相手の望むことすべてに出来る限り応え、昼夜問わず愚痴を聞き、慰め、時に詰られ、理不尽な行いに堪えながら暮らすことになります。

過去一度こういうことをやり、疲れに疲れてもうやるまいと思ったので私はもう二度とやりたくないですが、私の愛の根底にはこの考えがあるんだろうなと思います。代償を払うから愛をくれ、優しくしてくれ。虚しくなるだけですが。


●一旦わからなくなるとどうやって納得していたのかすっかり忘れてしまう

そんなわけですっかり精神の均衡を失い、新年二日目からこんな記事を書いているわけですがこれまで一体どうやって安定状態を保っていられたのか本気でわからなくなって困っています。自分を納得させられるだけの理論を、どうにか構築し終わったはずだったのに!また寂しい苦しい助けてくれと言い続けるだけのbotになってしまう。それはよくない。


●悟りと思考停止は似ている

でもまあ、自分を納得させるための思考回路といってもその実穴だらけだったためにこんなことになってしまったのであり、思考回路が完成したことに喜んで安住するのではなくより精巧に盤石なものにしようとしていればよかったのかもしれないとも思います。悟りを得たといえば聞こえはいいけれど、ある程度のところで思考停止して全てがうまくいったと思い込んでいるだけと言われたら否定できないし。今年もせいぜい自分を救う方法を考えていきたいです。どうぞよろしくお願いいたします。