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あんらくし

考えたことのメモなど

わたしたちどうしてもわかりあえないね

わかる〜っていう相槌、流れで使ってしまうときがあるけど実際そんなにわかってないよね問題。問題というほどのことでもないか。

わかるということについて書きます。


他人と完璧に100パーセントわかりあうということは不可能だと思います。別の人間だし、私は私が考えていることすら常に全て理解できているわけではないからです。だからといって他人を理解しようとする努力を怠ってはいけないし、全く理解できないということもないでしょうが。


かつて恋人なる人がいたのですが(惚気にはなりませんので安心してほしい)、一人目の心情や思考は全く理解できなかったし、二人目の思考は理解できたような気になっただけで心情を理解できていませんでした。

一言で言えば、一人目は聖人君子のような人で私のような凡愚には気持ちを想像することもできなかったのであり、二人目は中途半端に共通項があったため理解できると錯覚してしまったために失敗したのだと思います。

一人目の時はわかりあえるなんて思わなかった(別れる時も特に悲しくなかった)のだけど、二人目の時は「ひとりぼっち二人がやっと出会えたね」的な関係だったので(めさこん、という言葉を教えてあげたい)互いのことを理解しようと努めたし理解できたところもありました。でもそのぶん「わかりあえなさ」が募ってしまいずたずたになりながら別れることになりました。貴重な青春の思い出、二人目と付き合っていたというデータの容量が大きすぎてあまり思い出したくない。

 

この人なら私のことをわかってくれる、醜い部分も愚かなところも含めて愛してくれるという幻想があったのだと思います。結論からいえばそんなことはないし、期待をしたらそのぶんだけ「わかってもらえなかった」というストレスは大きくなるのでやめたほうがいい、と個人的には思います。 

 わかりあえることなんてきっとないし、私の全てを受け入れて愛してくれる都合のいい人が現れると信じられるほど楽天家ではないので(捜しに行く余裕もエネルギーもないですし)、せめて自分とわかりあえるようにはなりたい。