あんらくし

考えたことのメモなど

安寧

ひとまず外部と関わるイベントが終わってホッとしている。疲れてるのか、気をぬくと泣いていてちょっと自分に引く。
なにか特別嫌なことがあったわけではないけど、ダメージ1とか5とかの出来事が10月ずーっと続いていて、地味にHPを削られていたのだと思う。
仕事に支障は出していないけど、時間と余裕なくて自転車操業なのどうにかしたい。低気圧で頭痛い。
とりとめなさすぎですが、なんと今日は予定してた仕事ほとんど終わらせたんですよすごくないですか?明日説明義務を果たさねばなのがちょっと憂鬱だけどがんばるぞ
ところで、会場で星野源の「アイデア」がかかってなぜか泣いたんだけどなんだったんだ。
「絶対」みたいな顔してる人が好きって靖子ちゃん言ってた気がするんだけど、「絶対」だと思わせてくれる人が欲しい気持ちは分かる気がする。
てきとうに話せて、グチ言ったりふざけたりしても平気な人を早く全家庭に配備してほしい。
何も絶対を手に入れられず、寒いのもあってものさみしさと緩い絶望でずるずるしている。
早く救われたいからまず自分を救いあげなきゃ、ねむたい。

ぜんぶ無理になってるの意味分からんな
なにかやなことあったわけでもないのに何もできなくて腹たってむしゃくしゃしてる
こんな時に限って友達からの返信こぞってこなくてマジで孤独なのウケるしかない
やりたいことですらやる気起きなくてご飯二時間くらいかけて食べてた
今からやれることやろうね…

大森靖子「ラストダンス」個人的解釈

◆前置き
先日発売された大森靖子さんの最新アルバム『クソカワPARTY』に収録されている「ラストダンス」という曲について考えた。

考察に入る前に、この曲についての本人のコメントを引用しておく。曲名である「ラストダンス」の意味について、大森さんは以下のように述べている。

これはメロへのハマり方ですね(笑)特に意味はないけどあるみたいな!誰かが解釈してくれれば良いなっていう…。人間って今日が最後みたいな気持ちになるときってあるじゃないですか?恋愛とかもそうだし、何かの物質がバーッて出てきそうなったりとか。でもそうなれるって良いよねって思うんですよ、そういう時に生きているって感じちゃうだろうし。
いつか死ぬかわかんないときでも生きてるぜ!!って思うあの感じを書きたくて。それが「ラストダンス」っていう単語と近しいかなって思ったんです。
(出典:https://utaten.com/specialArticle/index/2790

「ダンス」とあるが、これは必ずしも「踊ること」ではないと受け取れそうだ。実際にそれが「ラスト」であるかどうかは問題ではなく、「今日が最後みたいな気持ち」や「もしかしたら次の瞬間死ぬかもしれないけど生きてるぜ!」というような感覚を「ラスト」と形容しているらしい。それを意識しつつ、一行目から読み進めていく。

あらかじめ結論を書いておくと、この曲は「ステージ上の誰か」(アイドル・アーティストなど人前で自己表現をする人)と「ファン」の物語であると私は考えている。

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↑図にするとこんなイメージ。

◆本編
「あーこれくらい平気 って 放っといた傷口 化膿して致死量の憂鬱を
チョコとかアイスとか まいにちのんでたら しあわせのくすり 効果薄れた」
→生きている以上、毎日何かしらのダメージは受けるものである。誰かに愚痴を言ったり、思いっきり怒ったり悲しんだりして発散したり…とその都度発散できればよいのだろうが、いつも愚痴を言える相手がいるわけではないし、いつも思う存分感情を爆発させられる場所があるわけでもない。
「あーそれくらい平気」だと思って何もせず放っておいたら、思ったより深く傷ついていて「化膿して」しまった。ある程度の傷であれば自己修復能力でどうにかできるだろうが、いつのまにかその許容量を超えてしまっていた。一つ一つはとるに足らないダメージだとしても、蓄積された結果普段の生活にも影響がでるようになってしまったのだろう。

ふだん「あー疲れた」で追われるはずのものが降り積もって、「あー疲れた、ほんとむり、死にたい」になってしまうような「致死量の憂鬱」。それをどうにかしようと「しあわせのくすり」=「チョコとかアイスとか」を食べて日々を生きている主人公「私」。でもそれも対処療法にすぎず、だんだん「効果薄れた」。=「あーむり!しぬかも」ってなっちゃったような。はじめは「チョコおいしいからしあわせだわ」でいられたのに、いつのまにかそれが効かなくなっている。そんな時にキメるのが「ラストダンス」だ。

「ラストダンス キメたい アナログな性純のささくれ 痛みで
ラストダンス キメたい 誰かの正義 受け流して
ラストダンス キメたい こうなってまだ3日なんてことは さておき
ラストダンス キメたい 来世も引き続き狂ってるの
大好き 大好き 大好き 殺したい」
→「今日が最後みたいな気持ち」みたいになった時にするのが「ラストダンス」らしい。先述した通り必ずしも「ダンス」を踊ることではない。
「ラストダンスしたい」ではなく「ラストダンスキメたい」。「キメる」とは、「薬を服用する」ことを意味する。「チョコとかアイスとか」みたいな「しあわせのくすり」ではどうにもならなくなった時に「ラストダンス」をするのだろう。後述するが、ラストダンス=「好きな人(アイドル・アーティスト・芸能人など)に触れる(接触のみならず、雑誌を読む・テレビを見る・CDを聴くなども含む)」であると仮定して話を進めたい。

「アナログな性純のささくれ 痛みで」
→「アナログ」=連続的に変化する物理的な量や状態。好きな気持ちの内訳は刻一刻変わっていくものだから。
変化していく状態の「性」(=性的、というより性質の方が近い気がする)は「純」粋で、「ささくれ」みたいに過敏(好きなものに対して何か言われると過剰に反応してしまう)だからそんな「痛みで」。

「誰かの正義受け流して」
→そんなものにお金使って(本気になって)どうすんの?みたいな、周りが振りかざすその人基準の正義を「受け流して」ラストダンスをキメたい。
「こうなってまだ3日なんてことは さておき」
→こんなに好きになってから(こんなに熱狂的にはまってから)まだ3日だけど、だからってそんなこと気にはならない。

「来世も引き続き狂ってるの」
→もし今日死んじゃったとして、もう一度生まれ変わってもきっと好きになっちゃうくらい好き。「狂っちゃう」ほどにファンなのだろう。

「大好き大好き大好き 殺したい」
→大森さんの出演したドラマ「カルテット」に同様の台詞が出てくる。あまりに「大好き」だと気持ちがオセロみたいにひっくり返って「殺したい」になっちゃうというような意味合いだったのだが、ここでは「大好き」と「殺したい」を向ける相手は別だと考えたい。
「狂ってる」くらいあなたのことが「大好き」だから、そんな自分を否定したり笑ったり軽んじたりするものはみんな「殺したい」。好きを邪魔するものはシャットアウトして、純粋に二人きりになりたい。

「あー恋愛だってだけで 多少は盛り上がる」
→ふだん興味がなくとも、「誰か」やそれに類する人たちの結婚報告や熱愛報道があると世間の人も「あー恋愛だ」と「多少は盛り上がる」。

「誰でもいいような 遊びで死ぬなんて」
→ファンの人は報道を受けて喜んだり悲しんだりする。「恋人いたのか、ガチ恋だから死んだわ」「結婚するなんて思わなかった、明日会社休みます」といったような(世間から見れば)過剰とも思われる反応をするファンに対する世間からのコメント。(もちろんそう思わない人もいるし、祝福している人だっていることはあまり想定されない。)
「誰でもいい」=別にその人じゃなくてもいいくせに。「遊びで死ぬなんて」=推してるのも遊びみたいなものでしょ、そんなのでショック受けるとか(笑)というような意味合いか。

「馬鹿になれることが それでもリアルなら
しあわせだって 幻じゃないのに」
→たとえ側から見たら馬鹿だとしても、それくらい熱中できることがその人たちにとっての「リアル」(現実、生を実感できるもの)なら、彼または彼女を推すことで感じている「しあわせだって幻じゃないのに」。
「どうせすぐ飽きるのに」「グッズ買って何になるの?」とまるで実態のない「幻」を追いかけ続けているだけなんじゃないの、という批判に対しての答え。確かに手応えがある、自分にとっての救いなのに。

ここまでがファンから「誰か」への思いである。
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これ以後は、「誰か」から「あなた」への答えである。

「ラストダンス キメたい あなたの理想が肉体を持ったら
ラストダンス キメたい 抱きしめたって消えはしない」
→私だって「今日が最後」みたいな気持ちでやってたいし、実際にやってる。自分の持てる全力を尽くしてあなたの前に立ちたい。

人前に立つということは、多かれ少なかれファンからの影響を受けるということだ。ファン一人一人の「こうあってほしい」に形作られているということを指して、「あなたの理想」。しかもそれははかない「幻」なんかじゃなくて、質量のある「肉体」をもって存在している。だから、「抱きしめたって消えはしない」。

「ラストダンス キメたい 私が生きていることを 痛みで」
→私があなたの中であなたの理想の「私」として生きていることを知っている。好きで応援してくれている気持ちだけでなく、あなたが私を好きなことでいろいろな形で傷ついたりする「痛みで」もそれを感じるし、その「痛み」も背負った上で「ラストダンス キメたい」。

「ラストダンス キメたい 今だけ私を見て欲しい
大好き 大好き 大好き 殺したい」
→あなたにも家族がいて友達がいて恋人がいて仕事があって、いろいろなものに囲まれて生きているのは知っているけど、私と向き合い時(わかりやすくいうのなら「ライブ」)だけは「私を見て欲しい」。
あなたのことが「大好き」だからこそ、あなたをとりまく「致死量の憂鬱」をはじめとしたあなたを苦しめるもの全てを「殺したい」。

「あなたの欲しがる光はきっと 私の恥だから」
→「あなたの欲しがる光」=あなたの目に触れる「私」(曲、演技、インタビュー、呟きなど全て)はきっと、「私の恥」=黒歴史というわけではなく、普通に生きている限りにおいて他人に見せることがないような中身の部分だから。

「殺す気で会いにきてくれないと
私の孤独には 触れないから」
→まわりの批判も嘲笑も、私の憂鬱も何もかも全部「殺す気」で会いにきてくれないと、「私の孤独」には触れない。どれだけたくさんの人に愛されて求められていたとしても、結局のところ「私」は一人だ。それでも、同じ熱量をもってライブにきてくれれば誰にも見せない心の大切な部分(「わたしみ」)を共有できる可能性はある。

「それでもあなたの運命も永遠も
ここにしかない もう避けられない」
→それでも、好きになってしまった以上あなたが「運命」だっていってくれる私との時間も、「永遠を捧げてもいいって思えるような気持ち」も、全部「ここ」=私といまいるこの場所にしかない。「もう避けられない」。

「壊しても壊れないから
抱きしめて」
→肉体のある私は幻じゃなくて、消えたり壊れたりなんてしないから、全力で愛して、物理的にだけでなく、いろいろなやり方で、あなたらしく「抱きしめて」。

◆まとめ
邪魔なもの全部とっぱらって、「いつ死ぬかわかんないときでも生きてるぜ!」って思えるくらい互いが夢中になれる体験(ラストダンス)をし続けたいというのは、ファンの願いでもあるし「誰か」の希望でもある。
というような曲なのではなかろうか。

なんでやねん

妙にアクセスがぶわーっとあって超びびったんですが何があったの
薄着で話し込んだ翌日、出勤してる八人中四人がげほげほしてるところで勤務したらものの見事に風邪を引きました。2週間ぶり?引きすぎでしょ
そういうときに限って人と遊ぶ約束があって、久々に遊べるから行きたくて、でも昨晩しにかけててみたいなコンディションだけど自分の治癒能力と外面に期待して予定通りの行程辿ってるからえらい(?)
家出た瞬間雨降ってきたから仕方なくバス乗ってるんですがこれでもかというくらい各停留所で停車してつらみ感じる
何気に病弱設定(風邪オア花粉オア各種アレルギーで体調悪くなる→喘息ぶりかえすコンボ)ついてるのマジでいらん
ふだんろくに記事書かないくせにちょっと反応あるとこうやってなんでもない記事連発するのわかりやすすぎて笑うしかですね

人間大学ひねくれ者学部普通だよね学科

イヤホンがぶっ壊れて左耳と右耳を交互にいったりきたりしているので買い換えないとやばい。黒いカーディガン、新品なのに家の中で着たら一瞬にして猫の毛まみれになっていたことに出勤し始めてから気がついた。遊んだ友達に「うつみは基本冷たいよね」的なことで別の友達と盛り上がったことを報告され、四年前くらいの対応について11時過ぎまで詰られるなどした。以上、近況報告でした。寒くなってきましたね。

世の中にはででにーランド(検索よけのためあいまいな表記です)に行きたい!と思う人種とそうでない人種がいると思うのですが、物心ついたころから別に行きたいと思ったことないタイプの人間なので前者と永遠にわかりあえないなと思いました。何もその人たちを低くみたり軽んじたりする気はないです。
オタクとして、グッズが欲しい!!!買わなきゃ!!!ってなることは少ないけれど、単行本やCDやら雑誌やら自分が欲しいと思うものにはお金を払えるくらいの文化的倫理感はあるし。ジャンルを支えてるのは全てにお金を払う人だと思うから課金やグッズ集めに対して感謝こそすれど馬鹿にしたことはないし、特にそういう気持ちをなかったはずなんだけどあまりにも分かり合えなさすぎて私が悪いのか?!ってなった秋の夜でした。
こういうこと書くからいけないんだろうなーと思うけど、でも行きたい場所とかそんなにないし、どこに行ってもたぶんそれなりに楽しいと思うけど一人で行ってもそんなに楽しくないので誰かと共有したくないですか?だからどこに行くかじゃなくて誰と行くかだし、いらないと思いながらぬいぐるみを買うならそのぶん納得して自分が欲しいものにお金出したいし。これって普通の感覚なんじゃないの?とか思うことが「人を下に見てる」的な印象を与えているのでは。
「人が興味あるものに心惹かれないワタクシ」思想じゃないのかと言われると否定したくなるけどそれも含めてやっぱりやなやつなんだろうなと思う。語弊を承知でいうとすれば、いわゆる「普通」とズレたことを自分が「普通だと思ってる」ことを何かしらの絶対的存在に「おもしろい女だな」と認めて欲しいお姫様願望なのでは?と思うとぞっとする。早く健全な精神と肉体を手に入れたい。(でもそこも含めて根底にあるのは自己愛だからたぶん変わらないと思う)

期待するなと書いて壁中に貼る

物心ついたころにはオタクだったので想像ならびに妄想が得意なのだけど、脈絡なく自分に都合のいい妄想をしてしまう癖がぬけなくてそろそろやばいなと思うなど。
「何か起こる→都合のいい妄想(一位をとる、仲良くなる、褒められるなど)→んなわけねーだろ(笑)と思う→実際何も起こらない」のループが人生なのだめでしょ。
勘違いしたくないしぬか喜びもしたくないからやめたいんだけどどうにもできねーーので常に「期待するな」と唱えてから行動しなきゃと思う

ふぬけ

7月からずーーーーっとやってたことがひと段落して普通の勤務体制になったら、気が抜けたのか普通に風邪をひいた。
病院と薬を信仰しているので無理な定時退社をきめて耳鼻咽喉科にとびこみ、「あ〜これ風邪だね。あとアレルギーもあるでしょ。ハウスダストかな?この時期ほっといたらいくらでも悪くなるからね。とりあえず薬出しとくから」というハキハキした宣告をいただいた。「これから鼻水がひどくなって、咳もかなり出ると思うよ」とかいう天気予報じみた診察の結果、数種類の飲み薬と舐め薬と貼り薬を処方されて帰った。
プラシーボ効果なのか本当にきいてるのかわからんけど、二、三日したらコロッと治ったので文明サイコーだなと思った。
今日も台風でダイヤが乱れまくってる中出社して出張して、いつもよりだいぶ早めに家に帰れるヤッタ〜とかいう大学生みたいな感想のまま最寄駅についた。
献血をしようと思い立って採血され、血管が見えにくいからと湯たんぽを抱かされたまま十分くらい放置されてるんだけど家でやるべきこと抱えながらボーッとしちゃうよりはいいはず、と思ってボーッとしている。そろそろちゃんと仕事モードに入りたい。しっかりしろ。